ルース・バット=セラフ イスラエルのマーベルヒーロー・サブラの歴史について

はじめに

 2022年、映画『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』(当時の予定タイトルはニュー・ワールド・オーダー)にサブラSabra、ルース・バット=セラフRuth Bat-Seraphというキャラクターが登場することが発表され物議をかもしました。

 サブラはイスラエル政府所属のヒーローとして知られるキャラクターだったためです。マーベルは「キャラクターに対する新しいアプローチ」を取るとの声明を出し*1、ガザでの虐殺が続く2024年に公式サイトにおいてイスラエル所属ではなく米政府高官のルースとして登場するとの変更が明かされました。*2

 しかし、イスラエル軍に志願した経歴を持つ俳優を起用したことへの批判に加え、「表面的な変更をいくら加えたとしても、このキャラクターの反パレスチナの人種差別的歴史やアパルトヘイトイスラエルの体現を浄化することはできない」として、映画はイスラエルの人種差別政策を終わらせるための国際運動のボイコット対象にも指定されています。

https://bdsmovement.net/boycott-captain-america

 コミックにおけるサブラは画面の端に描かれているだけの登場を含めても1980年から現在までで約50号程度にしか登場せず、単独で主役を務める連続シリーズが刊行されたこともないなど、決して高い人気を得たキャラクターとは言えません。にもかかわらず映画に起用されたり、コミックを読み込んだとは言えなさそうな記事*3に取り上げられたりしているのはキャラクター個人のドラマよりも、イスラエル政府所属の女性ヒーローという特異な要素が目を引くからでしょう。

 サブラは実際にどう描かれてきたのか。結論から言ってしまえばコミックのサブラがイスラエルの人種差別を象徴するキャラクターであるとの批判は妥当なものです。イスラエルを賛美するキャラクターを目指してはいなかった初登場時も、後に再発見され時事の問題やフィクション内の設定と絡められて登場する際も、その表象は常にイスラエルによる人種差別と暴力を隠蔽したり正当化したりする効果を持っていました。

 この記事ではサブラが登場する主要なコミックと背景情報を確認し、その実態と歴史をまとめています。なお英語圏のコミックファンによる同様の記事は既に書かれていますので、よりシンプルでカメオ出演を含めた全ての登場号がまとめられているこちらも参照してください。BDS HAS CALLED FOR A TARGETED BOYCOTT OF PRO-ISRAEL PROPAGANDA CHARACTER SABRA!!! – @imperiuswrecked on Tumblr

 記事中に登場するコミックは未電子化のMarvel Super-Heroes #6、What The--?!#9を除き、既刊のマーベルコミックの大半が閲覧できるサブスクリプションサービスMarvel Unlimitedで確認することができます。また、Amazonで一話単位あるいは章、イベント単位で電子書籍を購入することも可能です。出典を示すためリンクを掲載していますが、Amazonでディズニー傘下マーベルの商品を購入することを推奨するものではありません。

 

 

1980 サブラの初登場

 サブラがコミックに初めて姿を見せたのは1980年に発行されたIncredible Hulk #250において、地球中を飛び回るシルバーサーファー目撃したキャラクターの一人として一コマに描かれたものでした。

Incredible Hulk #250より。右端二段目のピンクの空を飛んでいるダビデの星をつけたキャラクターがサブラ。下部のキャプションでは初登場のキャラクターの今後の登場を予告している

 

 #250で行われた予告を受けた同年のIncredible Hulk #256でサブラはストーリーに本格的に登場することになります。

 この号の1ページ目には当時のハルクを担当していたビル・マントロ(ライター)、サル・ビュッシマ(アーティスト)らの他に、スペシャルサンクスとしてサブラの名前とコンセプトを考案したベリンダ・グラスという名前も挙げられています。詳細は不明ですが、グラスはマーベルの編集者・ライター、マーク・グルエンワルドと結婚する人物で歌手でもあったようです。

 物語は前号の結末で平和な場所を求めてハルクが忍び込んだ貨物船がテルアビブの港に到着するところから動き始めます。貨物の中で目を覚ましたブルース・バナーはパニックになりハルクが登場、これを見た人々は怪物として恐れ騒動が起こります。これをイスラエル軍に通報した警察官がルース・ベン=セラでした。軍は攻撃するも失敗に終わり、ルースはハルクを止めるため「イスラエル政府のスーパーヒロイン」サブラとして行動を始めます。

 

Incredible Hulk #256より。ルース・ベン=セラがサブラとして活動し始めるシーン。注釈で「サブラ」という語の意味が述べられている。

 

 一方、人間の姿に戻ったブルースは市場のスイカを盗んで追われていたアラブ人の少年サハドと出会います。自分がどこにいるのかもわからないままとっさにサハドを庇ったブルースはスイカを食べながら彼から話を聞きます。

イスラエルのアラブ人であることはすごく大変だよ。僕たちとイスラエル人は両方がこの土地は自分のものだと言ってる。みんなで分け合うこともできるのに、古い二つの本が殺し合うよう言ってるんだ。僕は本を読んだことないけどね」

 ブルースがサハドと自らの境遇に思いを馳せるも束の間、サハドが入っていたカフェが突然爆発します。「アラブの主権の名のもと、盗まれた土地を取り返す」と主張するテロリストの攻撃によるものでした。この爆発に巻き込まれてサハドは死に、表れたハルクが怒りと悲しみからテロリストたちに襲い掛かります。この現場に駆け付けたサブラはテロリストとハルクの両者を攻撃、テロリストたちは倒れますがハルクは反撃しサハドの死体を抱えて去っていきました。

 サブラは疑問を浮かべながらもハルクを追い、砂漠で独りサハドを悼むハルクに対しテロリストと共謀し少年を殺したと責めたてます。一方的な主張にハルクは怒り、涙を浮かべながら答えます。「あの子はハルクの友達だった! あの子が死んだのはお前たちが土地を分け合わないから、二つの古い本が殺し合うよう言っているからだ!」

「彼女は結局のところイスラエルのスーパーエージェントであり、兵士であり、戦争の武器である。しかし、彼女はまた、感情を持ち、思いやりを持つことができる女性でもある。彼女にこの死んだアラブの少年を人間として見せるためにはハルクが必要だった。彼女に人間としての感覚を目覚めさせるのは怪物が必要だったのだ」

 このナレーションでこの号は締めくくられます。

Incredible Hulk #256より。結末。

 

 イスラエルを擬人化したようなキャラクターを用いながらもイスラエル政府を正当化する意図よりも争いの悲惨さを伝えることに重点をおいたストーリーであったことは注目に値するかもしれません。また、強引な展開ながら、純粋な心を持つも周囲から怪物とみなされ攻撃を受けるキャラクターであるハルクと植民地主義による非人間化を絡めた物語としては一定の評価を与えたくもなります。

 しかし、当時の情報の限界や作者が逃れられなかった偏見もあいまって差別的な描写や誤解を生む表現も多く、この作品の存在をマーベルコミックに関する豆知識やハルクの歴史の中のエモーショナルなエピソードとしてのみ消費するのは良識ある態度とは言い難いものです。

 

 この作品の大きな問題の一つは、パレスチナイスラエル対立は決して非寛容な宗教が主要原因ではないにもかかわらず、それを紛争の理由として強調したことです。子どもとそれをそのまま借りたハルクの言葉ではありますが、そこからこれは作品のメッセージでは無いという含意を読み取るのは困難でしょう。

 パレスチナにおける対立は19世紀末にユダヤ人国家成立を目指す思想、シオニズムを奉じるヨーロッパのユダヤ人が、アラブ系のパレスチナ人が暮らしていたパレスチナへ入植活動を始めたことから始まっています。当時オスマン帝国領だったパレスチナではイスラム教徒、キリスト教徒、アラブ語を話すユダヤ教徒らが生活を営んでおり、古代から宗教が理由で争いが続いていたわけではありません。

 また、当初のシオニズムは宗教的情熱に駆られた思想ではなく、ヨーロッパでの根強いユダヤ人差別に抗して民族主義国家の成立を目指す世俗の運動として始まったものです。各地に離散した少数宗教集団だったユダヤ人に対して国民意識民族意識を作り出すために利用されたのが聖書の伝説であって、シオニズムの淵源も宗教ではありません。

 シオニストにとってパレスチナは新天地であり伝説上の土地であったとしても、パレスチナの人々にとっては先祖伝来の生活の場所であり、本来は他国の人々に国を作られるいわれはありません。しかし、第一次世界大戦後にパレスチナ委任統治を行っていたイギリスがかつてユダヤ人の民族的郷土の建設を約束して後押ししていたこともあり、入植は進められていきました。ここにはパレスチナの人々を「劣った東洋のアラブ人」として括って軽視し、「進んだ我々は野蛮な土地を自由に扱ってよい」と正当化する列強の帝国主義、人種主義が表れています。

 パレスチナ側と入植者の衝突は続き、1947年に事態の解決は国連に委ねられることになります。ここで少数派だったユダヤ人入植者の側に大量の土地を与える不公平な案が可決され、1948年にイスラエルは建国を宣言します。

 イスラエル建国前後、ユダヤ人の武装組織は大規模なアラブの村への襲撃、虐殺を行い、それを喧伝することで多くのパレスチナ人を国外へ追いやりました。これは、ユダヤ人国家を目指すイスラエルユダヤ人の人口を極大化させるための方策の一つとされ、追放、虐殺などの手段を組み合わせ地域から特定の民族を消し去る国際法上の犯罪「民族浄化」であるとも指摘されています。また、難民には帰還権が認められていますが、イスラエルが認めないため一時避難であると信じて去ったパレスチナ人の難民も未だ帰還できていません。これらの出来事は大災厄を意味する「ナクバ」と呼ばれています。

 また、建国以降の戦争でもイスラエルは多くの土地を手に入れ、1967年の第三次中東戦争ではヨルダン川西岸、ガザ、東エルサレムを占領しました。占領地では国際法で禁じられている入植が政府に推奨され、暴力や土地の接収、経済発展の妨害などパレスチナ人への抑圧が現在も続けられています。この違法な状態が国際社会によって解決されないことから、パレスチナ人によってイスラエルに抵抗する運動が続けられ、ときに武装闘争にも発展しています。

 

 イスラエルによる土地の収奪とパレスチナ人への暴力、それへの抵抗がパレスチナで起こっている対立です。Incredible Hulk #256のようなアラブ=イスラム教、イスラエルユダヤ教の対立という誤った構図では、イスラエル不法行為という根本原因が覆い隠されてしまいます。また、宗教のせいで憎悪の連鎖が続いているとしてしまえば、部外者の立ち入れない問題、他人事として読者の無関心を誘い、本来国際社会が行うべき処罰からも遠ざかることになります。この作品が発表されたアメリカはイスラエルの建国を支持し、国内票や中東戦略のためにイスラエルを支援していたにもかかわらずです。

 「お互いに」土地を分け合わないから平和が訪れないとの台詞もありますが、この作品が発表された1980年にイスラエルエルサレムの首都化を宣言し国際法に反した併合を決定化させていました。既に一方が土地を奪い更に浸食を進行させている状況に対してこの意見は好意的に見ても的外れで、実質的にはパレスチナ人に自らの土地を諦めて明け渡せと言っているに等しい酷薄なものでしょう。イスラエルパレスチナの問題は宗教問題でも対等な二国家間の国境問題でもなく、ましてや「どっちもどっち」では決してありません。

 また、作中では「パレスチナ」という言葉が一切使われておらず、理不尽に土地を奪われたパレスチナ人が名前も個もないテロリストとして登場することも非常に差別的であり、問題に拍車をかけています。

Incredible Hulk #256より。登場した爆破犯の集団と死んだサハド。ブルース・バナーは顔を覆った集団をテロリストと即断。彼らの台詞は〈〉でくくられており英語ではない(おそらくアラビア語)ためブルースは理解していない。次のページでハルクに倒されテロリストたちは退場する。

 

 パレスチナ人が「非理性的なアラブ人」として括られる状況が踏襲され、土地を盗まれたという主張もヒーローに退治されるテロリストという記号のもとで矮小化されてしまっています。パレスチナ難民の帰還権のことも、イスラエルが入植と武力で今まさに土地を盗み続けていることにも一切触れられません。

 「良い」「可哀そうな」アラブ人のサハドも登場後たった1ページで殺されてしまい、主人公たちが直面する悲劇を演出するためだけに出てきた装置に過ぎないとも言えます。イスラエル国民の20%を占めるアラブ系の人々は教育機会や兵役を基盤とする社会制度のため就業が制限されるなど差別を受けているのですが、イスラエルの根幹を成す人種差別の問題は誇張された泥棒の孤児という記号によって曖昧にされています。

 結果的にイスラエル人と「良いアラブ人」の共存は「悪いアラブのテロリスト」と宗教問題によって阻まれているという、イスラエルパレスチナ人を抑圧し続けるために都合の良いプロパガンダ的構図とほとんど変わらないものになってしまっているのがこの作品の限界と言えます。

 このストーリーに理解不足が表れていたとしても、サブラが人種差別を自覚する結末を尊重するならば、彼女をイスラエル政府の問題と向き合うキャラクターとして成長させていく道もあったかもしれません。しかし、そのような物語は以後40年の歴史の中で一切書かれませんでした。後述のように、まるでこの物語が無かったかのように人種差別主義者、ご当地の記号、完全なイスラエルプロパガンダの道具へと後退していくことになります。

 ちなみにブルースとサハドが食べるスイカパレスチナ及びその連帯のシンボルとして知られていますが、その嚆矢とされるのは1980年にパレスチナ国旗の色を用いた作品を展示していたギャラリーがイスラエル軍によって閉鎖されたことへの抗議でした*4。執筆時期などから考えると作中への登場はおそらく偶然であると思われます。

1982 コンテスト・オブ・チャンピオンズ出場

 出版上の次のサブラの登場は1982年に刊行されたマーベル初のクロスオーバーイベント誌Marvel Super Hero Contest of Championsにおいてです。

 この頃のマーベルコミックは、X-MENでのウルヴァリンら国際色豊かな新メンバーの登場(1975年)イギリス市場に向けてのキャプテンブリテンの創造(1976年)、新編集長ジム・シューターの就任(1978年)など様々な拡大、転換を迎えていた時期でした。

 そんな中、1980年のモスクワオリンピックに合わせて多数のヒーローがオリンピックに参加する内容のコミックの企画が持ち上がります。しかし、ロシアによるアフガニスタン侵攻を受けたアメリカの参加ボイコットで企画は中止、後にオリンピックの要素を無くして発表されたのがこのMarvel Super Hero Contest of Championsでした。

 ストーリーの担当はビル・マントロ、スティーブン・グラント、マーク・グルエンワルドの三名で、考案者がグルエンワルドの関係者だったことを考慮すると、サブラは元々この企画のためのキャラクターだったのかもしれません。*5

 ストーリーは宇宙の超存在達のゲームの駒として地球上のヒーローが集められ、二つのチームに分かれて秘宝のかけら争奪戦を行うというものでした。サブラはアイアンマン、アラビアンナイトと同チームに選ばれ、キャプテンブリテン、シーハルク、ディフェンサーのチームと対戦します。

 ここではサブラとベドウィンのヒーロー、アラビアンナイト(アブドゥル・カマル)の対立が描かれるのですが、アラビアンナイトのキャラクター自体がステレオタイプ的であることにくわえ、作中人物が差別的態度を取り続けるため酷い人種差別が行われています。

Marvel Super Hero Contest of Champions#2より。サブラのチームの険悪な顔合わせ。

 

 サブラの自己紹介に対しアラビアンナイトは「ユダヤ人と共には戦わない」と述べます。これにアイアンマンは「サブラの国籍か女性であることかどっちが気に入らないんだ?」と邪推し、「古くからの敵は同じ側に立てないのだ」とサブラが答え、チーム全員が単独行動を始めます。

 アラビアンナイトは戦いの中で危機に陥ったサブラを「我々はチームメイトだろう?」と助けるのですが、これに対しサブラは「お前と同盟するなんて死んだほうがましだ!」と吐き捨て、二人は以降会話しません。

Marvel Super Hero Contest of Champions#2より。助けられたサブラの暴言。敵チームのキャプテンブリテンアラビアンナイトを侮辱している。

 

 当初の計画ではここで激しい態度を見せたサブラが256の話で改心のきっかけをつかむという流れが想定されていたのかもしれませんが、その後もサブラからこのアラビアンナイトへの謝罪などは描かれませんでした。

 アラビアンナイト側がサブラを嫌う理由は明確にはされませんが、サブラは「古くからの敵」と呼びアラビアンナイトも同意しているため、作者は宗教に基づいて考えているようです。前述したようにパレスチナでの対立は近代に始まったもので、古代イスラエル王国の民とヨーロッパから来たシオニストの間にも繋がりはほとんどありません。

 ちなみに同ライターによるアラビアンナイトのオリジンストーリーIncredible Hulk#257でも、悪魔復活を狙う考古学者が聖書の出エジプトの出来事を語りながら「エジプト人ユダヤ人は宿命の敵なのだ」と語っていました(言うまでもなく酷い描写です)。この時にアラビアンナイトイスラエルとエジプトは講和したはずでは?と不審に思っているため、彼が「古くからの敵」としてユダヤ人を差別しているとすると整合性はやや怪しくなります。

 アラビアンナイトが空飛ぶ絨毯とシミターを持つ族長というステレオタイプで構成されたキャラクターであることも作品の差別的な性格を強めています。「アラジンと魔法のランプは『千夜一夜物語』の原典にもない中国を舞台にした物語ですし、その造形の不正確さは当時の読者にさえ苦言を呈されるほどです。*6

 アラビア語を話す人々はアラブ人と呼ばれ、アラブ人としての民族主義運動の歴史もありますが、エジプト人ベドウィンパレスチナ人等それぞれのアイデンティティも持つ人々も多くいます。これらを無視して漠然としたアラブ人を代表するキャラクターを創作すること、作中のサブラのように「アラブ人」だから敵であるとすることは同根の差別であると言えます。

 また、アイアンマンはアラビアンナイトが女性を差別しているに違いないと当てこすりますが、これはアラブ人への偏見に基づいた差別です。英米にも日本にもアラブ諸国にも当然女性差別は存在しているにもかかわらず、ことさらにアラブ人個人にだけ女性差別者に違いないとするのは人種差別でしかありません。この偏見は「女性やLGBTQ+への差別のない我々」と「差別主義のアラブ」という偽の二項対立を作り上げて虐殺を正当化するイスラエルの姿勢にも通じるものです。

 

 この後、サブラは同年1982年のIncredible Hulk#279でこれまでの破壊に恩赦を与えられたハルクを祝うパレードのゲストの一人として登場し、ハルクとの共演回の後日談的な一言を述べています。特に人気を得たわけではなかったサブラは、これを最後に10年近く誌面に登場しませんでした。


Incredible Hulk#279より。各国から来たキャラクターがハルクに一言ずつ言葉を贈る流れの中、サブラは登場回のナレーションのさわりを自ら述べている。

 

 1982年は現実世界において「サブラ」という言葉に大きな負の意味が加わった年でもあります。イスラエルレバノン侵攻の際に起こったサブラ、シャティーラの虐殺です。

 1982年の9月16日、非戦闘員のみが残されたパレスチナの難民キャンプ、サブラとシャティーラをイスラエル軍が包囲するなか、イスラエルの同盟者であるレバノンの右派民兵組が中に入れられ、3日間にわたって住民が虐殺されました。この際イスラエル軍は照明弾を打ち上げて虐殺を後押ししたとされています。この虐殺では2000人以上が亡くなっており、現在でも毎年追悼が行われるパレスチナ人への暴力の歴史の象徴的な事件の一つです。

 マーベルのキャラクターが社会への影響を鑑みて改名されることはいくつか例があり、ブラックパンサー*7ホロコースト*8の名前を一時的に変更したり、ネイティブアメリカンへの差別を象徴するコードネームだったミュータント、スカルプハンターの呼び名をキャラの本名のグレイクロウへと切り替えたりしています。*9しかし、コミックにおいてサブラを改名する動きはなく、パレスチナへの無関心と差別の姿勢が表れていると言えます。

 

1991 雑に掘り返された過去の遺物

サマースペシャルと銘打たれたMarvel Super-Heroes#6の表紙。目玉となるX-MENの他に短編に登場するキャラクターの顔も描かれており、その中にサブラの名前と顔もある。

 

 サブラが再び誌面に登場するのは1991年のMarvel Super-Heroes#6に掲載された短編です。Marvel Super-Heroes誌は季刊の増刊号的なシリーズで、穴埋め用の原稿を集めたような特にテーマを設けないオムニバス形式となっていました。その一編として初めてサブラを単独で主人公とした物語が掲載され、半ば忘れられていた存在であった彼女が新たな舞台に登場する端緒を開くことになります。

 ストーリーは「アナーキーを目指すイスラエル人」を名乗るテロリスト集団が学校を占拠する事件が発生し、この事態にサブラが駆け付けて犯人たちを倒し人質となっていたアメリカ大使の息子を救出するというものです。アナーキストたちの中心メンバー、ウィンドストーム(初出のキャラクター)はスーパーパワーを持っており、国家の転覆を目指す団体の目的とは別にサブラ個人の命を狙っていました。ウィンドストームのパワーはかつて麻薬中毒で死に瀕していた際にサブラのミュータントパワーを分け与えられたことによるものですが、サブラの思想に共感せず恨みをいだいているようです。戦いの途中、ウインドストームが人質の子どもを瓦礫の下敷きにしたことにサブラは怒って殺意をあらわにし、ウインドストームからパワーを取り上げ、そのエネルギーを与えることで子どもの命を救い物語は終わります。

Marvel Super-Heroes#6より。「俺たちは世界で最も危険なテロリストだ」と誇る犯人グループをサブラはたやすく倒し、ウィンドストームは説明的な台詞でサブラとの過去を語っている。

 

 ストーリーは初出の因縁が焦点となっており、イスラエルが舞台である以外サブラが主人公でなくても成立するようなものです。また、サブラのパワーの一部はX-MENらと同じミュータントであることに由来し、それを他者とやり取りできるという設定もこの回で行われた後付け設定によるもので、やや違和感も覚えます。ただ、この時点でサブラを知っていた編集者や読者は少なかったために特に問題なく発表されたのでしょう。

 7ページの単純なストーリーではありますが、イスラエルアナーキストがただの悪党として描かれていることは見逃せない歪さを感じます。

 実際のイスラエルには訓練された反政府戦闘員のアナーキスト集団は存在せず、ごく少数のアナーキストたちがシオニズム批判などの活動を続けてきた歴史しかありません。不当に成立した国家の権威がパレスチナ人を抑圧するイスラエルにおいては、80~90年代の兵役拒否や2000年以降のより積極的なパレスチナへの連帯行動などが権威を否定する思想のアナーキストらの活動となりました。2003年にはAnarchists Against the Wall(壁に反対するアナーキストたち)と呼ばれるイスラエル国内のアナーキストの組織が登場し、国際法違反のヨルダン川西岸での分離壁建設への反対運動を展開しています。しかし、イスラエル政府は反対意見への弾圧を強めており、アナーキストらの組織は衰退を余儀なくされています。*10

 おそらくライターはイスラエルにおけるアナーキズムの意味を理解せず、使い捨ての敵として安易に設定したと思われます。しかし、政府側をヒーロー、アナーキストをテロリスト、ヴィランとする無思慮な描写は、結果的にイスラエル政府の立場を肯定する表象として機能しています。

 

 この回でライターを務めたスコット・ロブデルはコンテストオブチャンピオンズの各国のキャラクターを題材にしたストーリーがMarvel Comics Presents誌に採用されたことでキャリアを始めており、突然サブラが誌面に再登場したのもこの流れの一環と考えられます。

 ちなみにロブデルは1990年のWhat The--?! #9に掲載されたロブデル本人がパロディ化されたマイナーヒーローを集めて作品を作ろうとする楽屋オチ的な短編Obsucurity legion(無名の軍団)にも「ゾブラ」を登場させていました。この作品からはロブデルはマイナーヒーロー達にマニアックな思い入れがあったというよりも、時代遅れのキャラをネタにして自分が目立ちたい気持ちの方が強かったのではないかという印象を受けます(その姿勢自体を自覚して自虐的に表現した作品ではあるのでしょうが)。

What The--?! #9より。中央のロブデルは無名ヒーローのパチモンを引き連れて当時の編集長トム・デファルコのもとへ向かう。ダビデの星の無いサブラのようなキャラがゾブラ。

 

 ロブデルは1992年にはUncanny X-Men誌を担当、後述の『ゼロ・トレランス』をはじめとした多くのクロスオーバーイベントの中心ライターとして90年代のX-MEN系列を牽引するライターとなっていきます。ここでロブデルの手によってサブラがミュータントとして再登場したことで、サブラにX-MENの関係者としても姿を見せる道が開かれたと言えます。

 なお、スコット・ロブデルは他に2010年代DCコミックスのレッドフード関連誌、映画『ハッピー・デス・デイ』の脚本などでも知られますが、度重なる差別発言やセクシャルハラスメントで非難を受けている人物でもあります。

 

1991 「怪物」との再会

 Marvel Super-Heroes誌でサブラは再登場しましたが、継続性を持ったシェアワールドに完全に復帰したと言えるのは同年1991年のIncredible Hulk #386~387での物語です。ちなみにこの号からサブラの本名はヘブライ語風の「ルース・バット=セラフRuth Bat-Seraph」に改められました。

 この頃のハルク誌はブルースとハルクらが融合したような知性とパワーを併せ持つ緑色の状態で常に生活する、いわゆるプロフェッサーハルクが主人公となっていました。また、ギリシャ神話由来のコードネームを持つ超人らの秘密結社パンテオンに身を寄せ、世界の問題を解決する任務を手助けしていた時期でもあります。

 この前後編ではパンテオンの能力者によって将来「次のヒトラー」と呼ばれる独裁者となると予知されたイスラエルにいる少年をめぐって、彼を殺そうとするパンテオンの一員アキレスとそれを阻止しようとするハルクの物語が展開します。サブラはイスラエル政府の命を受けて少年を護衛する役目で登場し、ハルクを敵だと思い込んで攻撃したり、アキレスから長命者でもある彼はダッハウ強制収容所から生き延びたユダヤ人でありそのような悲劇は繰り返すべきでないと考えて凶行におよんだという動機を聞いたりしました。

 サブラは人間性を教えられたはずのハルクに対して再び話も聞かずに敵扱いして攻撃し続けるのですが、恩赦の式典に出席した後の展開でハルクが敵の陰謀で暴れ始めたせいでハルクに悪印象を持っている、サブラの攻撃のせいでハルクは声が出せなくなったため誤解もなかなか解けない、と一応の辻褄は合わされています。かつての登場作品を意識しながらも、わざわざ理屈をつけて成長を無かったことにしているのが前回Marvel Super-Heroesでの無味乾燥な登場との違いです。キャプテンアメリカのように政府ではなく理想に仕えるキャラとなる道は閉ざされ、偏狭で単純な愛国者としての再キャリアが始まります。

Incredible Hulk #387より。ハルクがもう一度暴れた程度の理由で目覚めたはずの人間性を忘れたことにされたサブラ。

 

 ハルクとの戦闘の際サブラはひたすら愛国的発言を続け、その熱心さはハルクに内心で「シオニスト採用委員会」と皮肉られるほどです。サブラの発言の中にはこの年の湾岸戦争イスラエルアメリカから参戦を止められた不満に関するものもありました。「ここでは女性への暴力がありふれるようになった。欲求不満の兵士たちがその妻を殴るのだ。イラクに向けるはずだった怒りを内側に向けてしまっている。だからイスラエルは決して敵を恐れないとアメリカの友達に伝えろ」家庭内暴力は明らかにイスラエルの兵役制度によって強化された女性差別の問題であり、戦争ができないことを責めるのはかなり歪なのですが、サブラが女性であることに着目した台詞なのでしょう。

Incredible Hulk #387より。「理性無き怪物」のハルクに殺されると信じたサブラはイスラエルを愛する湾岸戦争時代の女性として矛盾した怒りを言い遺そうとする。

 

 この作品は「赤ん坊のヒトラーを殺してよいか」というSF的命題を捻りつつ様々な要素を組み合わせて手堅くまとめたごく平均的な出来のコミックで、主人公ハルクも極端なサブラやアキレスに同調はしておらず、わかりやすくイスラエルを称えるようなものには見えません。ただ、サブラをイスラエルへの愛国心をひたすらキャラとして再設定し、最後にナチスホロコーストに触れられることでイスラエルやアキレスの先制攻撃的行動にも一理あるものであるかのような印象も与えられています。プロパガンダは「普通のエンタメ」の中に意識させないような形で含まれている場合の方が根深い問題なのではないかとも思わされます。

 

 ライターは12年間に及ぶハルクの担当やミゲル・オハラ、スパイダーマン2099の創作、DCのアクアマンやヤングジャスティスのライターなどで有名な実力派のピーター・デイヴィッドです。リベラル的な価値観でも知られ、作品にも果敢に社会問題を取り込む姿勢を見せていました。

 デイビッドはヤングジャスティスやXファクターでアメリカでの中東出身者やムスリムへの差別に反対する話も書いている一方*11イスラエルについては強硬に支持しているという面も持っていました。

 2009年にピーター・デイビッドが投稿したこの記事https://www.peterdavid.net/2009/01/03/best-line-to-come-out-of-the-israeli-attack-on-hamas/comment-page-1/#commentsでは読者からコメント欄で偏りを指摘されていますが一切聞き入れようとしていません。母親がイスラエル出身であるとはいえ、この姿勢は冷静さと思慮を欠いた差別主義的態度としか言えないものです。2021年に過去のこの姿勢を口汚く非難していた一般人のSNS投稿に対してデイビッドは「反ユダヤ主義者の馬鹿野郎」と返信しており、長らく考えは変わっていないものと思われます。*12なお、デイビッドは病気療養中のため現在はインターネット上への意見の発信などは行っていません。

 

1995 上書きされる子供の死

 1991年の登場から少し経った1995年のNew Warriors #58~59では当時の国際情勢と絡められてサブラが再び登場します。ニューウォリアーズは若手ヒーローたちによるチームで、この時点ではスピードボール、ジャスティス(ヴァンス・アストロヴィク)、ファイアスターらが所属していました。

 このストーリーでは国連本部でイスラエルとシリアの会議が開かれ、ニューウォリアーズとサブラ、そして初出のシリアのスーパーヒーロー、バタルがその警備にあたります。当時のイスラエル首相イツハク・ラビン、シリア大統領のハーフィズ・アル=アサドが実名で登場しており、90年代に断続的に行われていたシリアとイスラエルの和平交渉が背景となっています。

 サブラはバタルを「自分の息子を殺した奴ら」として敵視しています。「アラブ人」がバスに仕掛けた爆弾で息子が死んだと言うのですが、この過去はこの回で付け加えられた初出の設定です。バタルは息子を殺したのはPLO(パレスチナ解放機構)であって「アラブ人」ではないと一般化による差別をを指摘して抗議しますが、サブラは「お前たちのテロリズムにはうんざりだ」と聞き入れません。

New Warriors #58より。爆弾による息子の死という以降のサブラを決定づける後付け設定が語られた瞬間。同時に「アラブ人」への憎悪も再燃させられている。

 

 一方ユダヤ人であるヴァンスは父親から虐待を受けていた過去と、かつて学校で抱いた反撃しないことへの不満を思い出して、「私は国ではなく、ファラオ、ローマ帝国、ドイツに耐えてきたユダヤ人の代表だ」と主張するサブラの姿に感銘を受けていました。世界にはイスラエルを支持しないユダヤ人も多くいますが、サブラに恋愛感情も抱いたヴァンスはそうではないようです。

New Warriors #58より。国際会議の場。シリア国旗モチーフのアーマーを着ている浅黒い肌の人物がバタル。中段には実在の首脳陣、イスラエル首相イツハク・ラビン、米国務長官ウォーレン・クリストファー、シリア大統領ハーフィズ・アル=アサドらが描かれている。バタルの「サブラ、あそこのパレスチナ人からは席を取りあげないのか?」との皮肉にサブラは「子供殺しとは話さない」という罵倒でしか返さない。

 

 前編のラストでサブラは何者か(全くの不明)に操られてバタルや首脳陣を攻撃し暴走を続けますが、ヴァンスがヘブライ語の哀悼の祈りを暗唱し息子を思い出させることでサブラに我を取り戻させます。サブラが拘束されてこの話は終わりますが、New Warriors #66でサブラはヴァンスを遊びに誘う電話をかけてきておりすぐに解放されたようです。

 

 この作品は結末近くに「フェンスの両側の過激派が平和を阻んでいるのですね」というヴァンスの安直な台詞があるように政治的中立を目指した節はあるのですが、物語がイスラエルに肩入れしてしまっているのは明らかでしょう。不敵な態度のバタルは前編で倒されたままフェードアウトして何の背景も描かれないのに対し、サブラは劇中でも指摘されるほど差別的でそれが解消されないにもかかわらず同情的に描かれ主要登場人物と関係を深めています。ヴァンスの回想シーンでの意見はシオニスト歴史観とも一致するもので「イスラエル自衛権」を訴えていると解されても仕方ありません。他にも実在の政治家を人格者風に描いたり、独裁政権下シリア所属のスーパーヒーローを登場させたりと不用意な描写が目立ちます。

 また、サブラにPLOのテロで死んだ息子がいたという設定を加えたことが今後に響いていきます。この後サブラにスポットが当たる度に語られるのは実際に描かれたこともない息子の死ばかりであり、キャラクターの核となりえたはずの見ず知らずのアラブ人の子供の死の意味に打ちのめされた出来事は完全に上書きされてしまったかのようです。また、この設定はサブラのアラブ人差別を仕方のないものとして正当化する理路を与えるもので、イスラエルの子供の死を理由に子供を含む大量のパレスチナ人を虐殺するイスラエル政府の姿勢とも重なります。

 

 この頃のイスラエルパレスチナはPLOとイスラエル政府が1993年に結んだオスロ合意の体制下にありました。ガザ、ヨルダン川西岸を自治区とし、将来的にパレスチナが国家を設立する和平案のはずだったのですが、決着点が定められていなかったこともあり事態は進展せず、その間もイスラエルは入植地を増やし続けるなどパレスチナの解放には程遠いものでした。ニューウォリアーズのこの号の発売から数か月後の1995年11月、イツハク・ラビンはオスロ合意に不満を持ったイスラエルの宗教シオニストに暗殺され、イスラエルは更に右傾化していくことになります。

 

1997 ミュータントモサドの誕生

 サブラはクロスオーバーイベントOperation: Zero Toleranceの中の一編、1997年のX-Men #67~69*13で初めてX-MENの協力者として登場します。ライターは6年前にサブラはミュータントであると設定したスコット・ロブデルでした。現在までのサブラ全登場号のうち半数以上を占めるX-MEN系列のシリーズへの登場はこの話から始まっていきます。

 Operation: Zero Toleranceは黒幕バスチオンが反ミュータントの軍団ゼロトレランスを組織し、ロボットへと改造された人間の工作員がミュータントを襲うイベントで、アニメ『X-MEN '97』の原案の一つにもなっています。

 

 ここでのサブラはモサドでの立場を利用してイスラエル政府からバスチオンに対抗する情報を盗み出し、アメリカで戦っていたアイスマンらを助けに行く役割を演じます。また、民間人の子どもが人質になっていることに怒るなど、息子が死んだ過去を繰り返さないために戦っていることが強調されます。

X-Men #67より。モサドで情報を引き出すサブラ。ナレーションはかつてX-MEN一度だけ会ったとしているがこの時点までに明確に描写されたことはない。

 

 ここでサブラの死んだ息子の名前はヤコブであること、プロフェッサーXから仕事を頼まれるX-MENの協力者であったこと、モサドの関係者であったこと、と多くの設定が後付けされます。今回の行動はサブラ個人がエグゼビアと通じていたことによる独断なのですが、サブラからはモサドイスラエルを誇るような発言も多くなされ、イスラエルからの助けであるという印象が強く残ります。

『Xメン ゼロ・トレランス5』収録のX-Men #68より。通りすがりに警備員を強盗から助けて何者か問われたサブラ。表に出たくないと言いながら完全に出身と名前をアピールしている。この邦訳での名前の表記は「セイブラ」「ルス・バト・セラフ」。

 

X-Men #69より。イスラエルのスーパーソルジャー計画のミュータントでモサドに訓練されたと自己紹介するサブラ。モサドに訓練を受けたという設定が作中に初めて登場した場面。

 

 イスラエル諜報機関モサドは、2024年に子供の死者を含む大きな被害を出したレバノンでのポケベル爆破事件に関わるなど国外で多くの非合法な活動を行っている実在の組織です。モサドがフィクションの中で活躍することは人材募集や活動の円滑化につながるとしてモサド側が歓迎している*14ことを考えれば、モサドをヒーローの味方として登場させることは、単に不快に感じる読者がいる以上の重大な問題を抱えていると言えます。

 

 マーベルコミックのミュータントは現実の様々なマイノリティのメタファーとして使われる設定で、オペレーションゼロトレランスも作中で何度もナチスの絶滅政策のようだと非難されています。サブラはゼロトレランスの行動に対して、「この国に溢れていることが世界へ癌のように広がっていく」と評しますが、サブラの目に入っているのは国内のアラブ人への差別ではなく、「愚かな偏見のせいで」息子が死んだと語るように、周囲の「敵」からユダヤ人が差別されているのだという認識のみでしょう。ミュータント差別の問題に説得力を与えるために現実のナチスユダヤ人差別のイメージを重ねていますが、架空のミュータントの問題が重ねられることで現実のイスラエルが抱える問題は曖昧にされているように見えます。

1997~2001 マグニートー×イスラエル

 『ゼロ・トレランス』の数か月後のX-Men #72~#73にもサブラは登場し、X-MENの物語に合流していきます。

 ここではサブラはイスラエル大使のガブリエル・ハラーのもとに現れ、マグニートーの本名として知られていた「エリック・レーンシャー」は偽名であるとの情報をもたらします。サブラは犯罪者マグニートーを殺すために手がかりを追いますが、結局たどり着いたのはマグニートーのクローンの若者ジョセフのもとでした。サブラはジョセフを襲いますが、マグニートー本人でないことを知ると協力者となるよう頼んで去っていきます。なお、これも任務外の行動だそうですが、サブラはジョセフ達に対して相変わらず自分はモサドであると名乗っていました。

X-Men #72より。ガブリエル・ハラーにマグニートーの情報をもたらすサブラ。 

 

 この話の背景には、マグニートーイスラエルにいたことのあるホロコーストサバイバーであるというクリス・クレアモントが導入した設定と、その設定の扱いにまつわる混乱があります。

 Uncanny X-Men #150でマグニートーは倒したキティ・プライドの幼さを目の当りにし、作中で初めて言及されたアウシュビッツでの幼少期を思い出しながら自らの所業を後悔します。ここから「過去の悲劇の経験から迫害に力で対抗する姿勢を選んだ革命家」という今後のキャラクター解釈に影響を与えるキャラクターの掘り下げが始まっていきます。

 またUncanny X-Men #161では、マグニートーとプロフェッサーX、ガブリエル・ハラーらの出会いも回想されました。イスラエルのハイファにある病院にやってきたチャールズ・エグゼビアが、マグナスを名乗ってボランティアをしていたマグニートーや患者だったガブリエルと出会い親交を深めますが、ナチス系の悪の組織ヒドラの病院襲撃をきっかけにチャールズとマグナスは袂を分かつことになるというものでした。*15

 クレアモントはマグニートーユダヤ人であると想定して描写していましたが、作中で明言はしていませんでした。そのため、クレアモントの手が離れマグニートーが再び敵役として登場する時期の1993年に発行されたX-Men Unlimited#2において、マグニートーの素性はシンティ・ロマのエリック・マグナス・レーンシャーであるとガブリエル・ハラーが発表し、しばらくはこれが正式設定となっていました。

 このマグニートーの不自然な設定を白紙に戻したのがX-Men #72のサブラの情報の意味であり、この回での顔合わせによってサブラはジョセフやマグニートーの関係者という役割も得ることになりました。後の2001年のX-Men #111でサブラは人類に宣戦布告したマグニートー*16に対して「同胞に恥をもたらしたイスラエルの息子」という表現を用いており、マグニートーユダヤ人に戻っています。

 マグニートーの設定をめぐる変遷の理由は明かされていませんが、ヴィランユダヤ人であることが反ユダヤ主義であるとみなされることを恐れてマグニートーの人種を変えたり、ユダヤ人に戻してからはイスラエルを代表するヒーローを対置することで批判を免れようとしたりしたのかもしれません。

X-Men #111より。マグニートーは怪物、我が国の恥であり処断されるべきだと表明しているサブラの姿がテレビのニュースで流れている。

 

 また、1998年のExcalibur#121ではチャールズ・エグゼビアとガブリエル・ハラーの息子であるミュータントのリージョン(レギオン)が残したパワーがエルサレムを襲い、サブラは事件の解決をミュータントチームのエクスカリバーに依頼しました。サブラはミュータントに親和的ではないモサド上層部にこの件を報告しています。

 これらのような以前のX-MENシリーズにあったイスラエルとの接点を通した登場を経て、サブラは世界中にいるミュータントの一人でX-MENの協力者という立ち位置を確立していきました。作中のミュータントに関する問題が重視される物語の中ではイスラエルに関する現実的な政治的問題は棚上げされるため、キャラクターを起用しやすい舞台を得たとも言えるでしょう。

 

2004~2006 9.11以降のマーベルユニバース

 2001年の同時多発テロ事件によりアメリカは「対テロ戦争」の時代に突入します。この時代にアメリカを覆った空気はマーベルコミックの内容にも影を落としています。

 2004年からのシリーズ『シークレット・ウォー』はS.H.I.E.L.D.のニック・フューリーがテロ防止のためとして民主的に選ばれた他国の首相暗殺を謀る問題作ですが、その第1話にはフューリーが「サブラがガザ地区神経ガス攻撃を計画していたテロ組織を潰した」との報告を受けているシーンがあります。

 当時のガザ地区で続いていた第二次インティファーダパレスチナの抵抗運動)を意識して架空世界でのリアリティを演出しようとしたのでしょう。ただし、パレスチナ側が化学兵器を実際に使用した例は報告されておらず、決して実態に即した設定とは言えません。

Secret War#1より。S.H.I.E.L.D.のヘリキャリアでイスラエルの暗号通信の内容が報告されている。次の報告は「アフガニスタンがアストラル界を領土と宣言した」というジョーク的性格が強いものであるため、サブラの件は悪い意味で目立つ。

 

 ガザ地区は2005年にイスラエル軍が撤退した後、2007年にパレスチナ人だけを中に残してイスラエルによって完全に封鎖され「天井の無い監獄」と呼ばれる過酷な環境に陥りました。この封鎖はガザでハマスによる統治が始まったことに対するものです。

 ハマスは2006年の選挙でパレスチナ自治政府の政権与党に選ばれていたのですが、アメリカとイスラエルハマス中心の内閣を認めず、それまでの与党のファタハを軍事面を含めて支援しました。これにより起こったパレスチナの内紛の結果生まれたのがガザではハマス、西岸ではファタハ主導の内閣が統治する状態でした。アメリカの国外政治への干渉に関してはフィクションの中だけのものでありません。

 

 2006年マーベルのクロスオーバーイベント『シビル・ウォー』ではアメリ愛国者法を思わせるヒーロー登録法への賛否をめぐってヒーローが二分されました。このイベント時点のX-MENの状況を描くCivil War: X-Men#1~#4(邦訳『X-MEN:シビル・ウォー』)にサブラが登場します。

 彼女はモサドアメリカの登録法を支援するように命じられたとして、政府の手から逃亡するミュータントを追う任務を遂行しました。この頃のX-MENは前年の展開で起こったミュータント激減事件*17を経て、少数のミュータントたちが政府によって封鎖された難民キャンプに軟禁されるという展開の最中でした。この話は逃亡者側と政府側が協力して、政府内で糸を引いていた悪役の陰謀をくじき終わります。

 また、台詞はありませんがイベント本編のCivil War#6でもサブラは登録法賛成派のアイアンマン陣営で戦っている姿が確認できます。

X-MEN:シビル・ウォー』収録のCivil War: X-Men#2より。イスラエル代表として政府の思惑を語り、X-MENを敵に回す任務にも迷いは無いと表明するサブラ。モサドの設定となって以降に独断ではなく完全にモサドの命令で働く描写はここが始めてだと思われる。この邦訳での彼女の名前の表記は「サブラ」「ルス・バット=セラフ」。

 

2006 新チーム、新アラビアンナイト、変わらない差別

 2006年のシビルウォーと同時期に刊行が始まった4号完結シリーズUnion Jackでもサブラが主要登場人物として登場しました。

 このシリーズはMI5に招集されたユニオンジャック、S.H.I.E.L.D.のヴァレンティーナ、サウジアラビアの新たなアラビアンナイト、サブラの4人のチームがイギリスでの大規模テロ事件に立ち向かうというスパイアクション映画的な内容です。

 ユニオンジャックはイギリスのヒーローの一人で、前年に始まったエドブルベイカーキャプテンアメリカ誌でも顔を見せていました。*18

 編集者のアンディ・シュミットは初代アラビアンナイトステレオタイプなリアルでないキャラクターだったため新しいものはそれを避けたいと語っており*19、新しいアラビアンナイトのナヴィド・ハシムは現代的な軍装風のコスチュームを着ています。この新アラビアンナイトとサブラも険悪な関係で始まり、コンテスト・オブ・チャンピオンズでの描写が意識されているようです。

 

 ユニオンジャックとチームの顔合わせにおいて、ヴァレンティーナとサブラは偏見からアラビアンナイトに不信の目を向けています。アラビアンナイトが自分がここに来たのは政府の要請で友を助けるためであって疑われたくはないと語ったことに対し、サブラはサウジアラビア政府はテロ組織に資金を流していることに疑いの余地はないと詰ります。

Union Jack#1より。不信の目を向けられるアラビアンナイトサウジアラビア政府を非難するサブラに対して、アラビアンナイトはあくまで過激派と戦ってきた自身の仕事について語り、イスラエル政府の問題を指摘して話を拗らせたりはしない。

 

 現実のサウジアラビアは人権侵害などの深刻な問題を抱えた国家であり、周辺地域のイスラム原理主義の過激化も招いている一方、軍事や経済の面では欧米とも関係が深いためサウジアラビア自体も過激派勢力のテロの対象となるという複雑な立ち位置にあります。おそらくはそういった背景からサウジアラビアからアラビアンナイトが対テロ対策に派遣されたという設定がなされたものと思われますが、誌面では単にサウジアラビアはテロ組織を支援している国家だと言う一面的な意見だけが肯定も否定もされない状態で放置されています。

 その後イスラエルでは女性も兵隊の役割を果たすと誇るサブラに対し、ナヴィドは「お前は妻や母としての神聖な役割こそ果たすべきだろう」と発言します。これにサブラは激怒「その役割はパレスチナ人がスクールバスに仕掛けた爆弾で奪われた」とナヴィドに掴みかかります。

Union Jack#1より。アラビアンナイトに掴みかかるサブラ。

 

 新アラビアンナイトの見た目は現代的になりましたが、アラブ人は女性差別者であるとの偏見はナヴィドが実際に女性差別発言をするというより悪い形で踏襲されています。また、サブラの態度はニューウォリアーズでのバタルに対するものと同様で彼女がアラブ人やパレスチナ人を差別しているという事実は変わっていませんが、今回は息子が死んだことと女性差別を受けたことへの怒りという正当なものに隠されています。

 戦いの中サブラが怪我を案じた際にアラビアンナイトは発言を謝罪しようとしますが、サブラは「我々は一時的な同盟にすぎない」と受け入れません。

 チームメンバーが敵に操られたり、負傷したアラビアンナイトが任務への覚悟を見せたりしながらも事件は解決します。チーム解散の際にサブラとアラビアンナイトは「あなたはよく戦った」「そちらもな」と一言ずつ交わして別れます。長らく人間性を忘れていたサブラは20年以上経ってようやくチームメンバーのアラブ人に最低限の敬意は表せるようになりました。

  言うまでもありませんが、サブラは同じく政府のエージェントであるナヴィド個人の力を認めただけで、アパルトヘイト体制イスラエルへの忠誠は全く変わっていません。国際情勢は対立陣営の二人が戦いのなかで渋々力を認め合うというドラマのスパイスに使われているだけと言えるでしょう。エンタメ作品にはよくある事かもしれませんが、このような形で大きな問題を抱えた政府に所属するキャラクター達を扱ってよいのかという疑問は残ります。

Union Jack#4より。チーム解散の際、直接目線を合わさず一言ずつ交わして別れる二人。エモーショナルな場面だが、二人は人権侵害国家の政府に仕えている。

 

 作中ではナヴィドはサウジアラビアから派遣されているとしか描かれていないのですが、2008年に発行されたマーベル作中世界の地理解説本Marvel Atlas のイスラエルのページでは「サウジアラビア政府に仕えるためイスラエルを離れたパレスチナ人」とされています。この件の詳細は不明ですがかなり酷い設定です。パレスチナ人が故郷を離れるのは自発的に別の国に尽くすためだとでも言うのでしょうか。

 また、Marvel Atlasではイスラエルの歴史を「ユダヤ人の約束の地であったが、西暦70年から1948年まではパレスチナと呼ばれた」としています。これはあくまでマーベルユニバースにおける設定ですが、執筆者の現実世界に対するかなり偏った見方が表れていると言えます。

 ちなみに、2011年のHulk#48にアラビアンナイトが登場した際は、ナヴィドはアフガニスタン人だとされており、相変わらずアラブ人はどこでも同じだという軽視が見て取れるようです。結局マーベルはアラビアンナイトのアップデートにも失敗したままであると言えるでしょう。*20

 

2009 唯一の個人タイトルにして最悪のプロパガンダ

 2000年代にイスラエル政府関係者としてのサブラの登場が増えたことは、「テロと戦う味方」としてアメリカでのイスラエルの存在感が増したことと呼応していたのかもしれません。それでも、個人として現実離れしたヴィランと戦ったり、国外でヒーロー達の手助けをしたりするのがサブラの主な役割で、イスラエル軍パレスチナでの行動とは一応の線が引かれていました。

 しかし、2009年にサブラを完全に軍と一体化した存在として描き、イスラエル空軍を美化した最悪のプロパガンダと言ってもいい作品が登場してしまいます。インターネット配信コミックAstonishing Tales#6のうちの一編で、サブラの歴史上唯一キャラクター名を関したタイトルのAstonishing Tales: SabraSabra in FLIGHTです。

 物語は「イスラエル」のエルサレムで催されているパーティから始まり、サブラは知り合いのロニットから娘のヤエルを紹介されます。ロニットとサブラの父はイスラエル空軍の同じ中隊に所属した縁があり、またサブラはかつて飛行機と並んで飛び空軍の彼らと同じ任務に就いていたと明かされます。(サブラ以外の登場人物は全員この号が初出)

Astonishing Tales: Sabraより。登場初期のコスチュームでイスラエル空軍と飛ぶ過去のサブラ。

 

 ヤエルは兵役が近づいており緊張しているとサブラにこぼします。国境警備隊に配属された親友はガザから飛んできたロケット弾によって負傷し麻痺が残ったというのです。サブラでも緊張することがあるのかと尋ねられ、彼女は戦いの経験を語り始めます。

 悪の組織ヒドラがテルアビブに送り込んだ巨大ロボットの首をはねた時には、サブラはゴリアテに対するダビデのように感じたそうです。また、ヒドラに捕らわれた際にサブラの父親らイスラエル軍が救出に来た事に触れながら伝えます。

「あなたは軍に入って多くのことを学ぶでしょう。なかでも一番大きなことは軍の家族、個人の家族二つの家族を得て、その両方があなたのためにあり、あなたのために犠牲となることさえあるということ。それが私を救おうとした父が死んだ日に学んだ厳しい真実」

 ヤエルも自分の父も我々の民族を守るための戦いで撃墜され死んだ、と父のことを語ります。そして常に飛びたいと考え空軍学校に入ったものの諜報部にも心が動いている、飛ぶことの意味はなんなのか迷いがあるとサブラに相談します。サブラはどの選択も素晴らしいとして後押しし、飛ぶことが直接的に教えるためヤエルを脇に抱え飛び立ちます。

「これが我らが父が生き、そのために死んだ地。ヤエル、あなたは正しい選択ができる」

 サブラとともにエルサレム上空を飛ぶヤエルの顔は晴れやかでした。

 

 これがこの短編の内容で、実在する他国の軍隊へ徴兵される若者の不安をヒーローが解消するという異様な物語です。「エルサレムは我々のものであり、イスラエル軍は悪の組織と戦い仲間を守る家族だ。君も空軍で民族の誇りとともに飛ぼう!」たった9ページのコミックに凝縮された歪んだ世界観には気も遠くなりそうです。

 この作品では様々な要素を使ってイスラエル軍を美化しており、これはイスラエル政府の広報政策と方向性を同じくするものです。

 一つ目は敵の設定で、作中のイスラエルナチスの流れをくむ組織のヒドラと戦っていることになっています。マグニートーとプロフェッサーXの過去の回でも表れた描写が踏襲され、イスラエルナチスユダヤ人差別組織に狙われているという誤ったイメージが強化されます。また、ガザのロケット弾の話題からすぐにヒドラとの戦いが描かれ、まるでそれらは連続する事件であるかのような印象も与えられています。

Astonishing Tales: Sabraより。建物が燃えているだけのガザからの攻撃のイメージシーンに続いてテルアビブに現れた巨大ロボと戦うサブラの回想が描かれるページ。サブラは巨大ロボをゴリアテに例えている

 

 当然我々の世界にヒドラは存在せず、現実のイスラエル軍が攻撃しているのはナチズムとは無関係な周辺地域の人々です。イスラエルの紛争は占領への抵抗運動とそれへの抑圧ですが、その事実を隠し虐殺を正当化するためにイスラエルナチスホロコーストを利用してきました。イスラエル首相ネタニヤフはヒトラーユダヤ人虐殺を進言したのはパレスチナ人であるとの全く史実に基づかない主張さえ行っています。*21

 分離壁の建設が進みガザ封鎖以降出稼ぎも制限されたイスラエル国内では実際のパレスチナ人の姿を見ることがなく、パレスチナ人を「どこかから理不尽に表れる」テロに関係する存在としてしか見ない傾向が強まっています。個も顔も無いやられ役のナチスヴィラン組織の概念はそれと同じ性質の表象と言えるでしょう。

 そして、空軍による爆撃は殺される民間人を直接に目にせず、パレスチナ人をイメージの中の存在のまま罪悪感なく殺戮する手段でもあります。一方的に人を殺す道具である爆撃機それ自体も、作中ではスーパーマン的なヒーローと重ねられることで空を自由に飛ぶヒロイックなものへと読み替えられ美化されています。

 また、作中のサブラの戦いにはダビデゴリアテ、鎖に縛られたサムソンのような聖典の故事が比喩として用いられていますが、これも古典的なプロパガンダと共通するものです。現在のイスラエルの戦いは伝説上の戦いと連続した崇高なものであるとして、ユダヤ人の宗教意識に訴えかける方法です。

 作中に初めてサブラの父母兄弟が登場するなど、イスラエルでも重視されている家族のイメージも強調されています。軍もまた命がけで同胞を守る家族のような共同体であるとして、イスラエル軍は捕らわれたサブラの救出に向かっていました。しかし、実際のイスラエル軍は自国の兵士や民間人の人質が巻き込まれる攻撃を許容するハンニバル指令と呼ばれる命令を発令することでも知られています。ハンニバル指令は2015年のラファ攻撃や2023年からのガザ攻撃でも発令されていたと報じられています。*22イスラエル軍に入隊することは虐殺の主体となることであると同時に、「大きな家族のための犠牲」として味方に殺されるかもしれない組織の一員となることでもあります。

 この作品はイスラエル爆撃機の下で殺されている現実世界の多くの民間人を悪のナチスという記号と人が空を飛ぶというロマンで覆い隠し、虐殺を遂行する組織に強制的に編入させられる若者を後押しする最悪のコミックであると言うほかありません。

 

 イスラエル軍を徹底的に美化する作品であるため、この作品の収録された号が印刷される際にはイスラエルの右派新聞エルサレムポストが好意的に取り上げました。この記事は現在でも閲覧でき、ライターの経歴や作品の生まれた経緯についても書かれています。

www.jpost.com

 記事によればライターのマット・ヨーカムは1992年から長らくイスラエルに関わり、2009年当時はイスラエル大使館の米空軍武官も務めていた兼業ライターだそうです。この物語はイスラエル国外にその現実を伝えるために書いたと言っており、作品はアメリカ空軍の彼から見た世界観が表れていたということになります。

 ヨーカムはサブラとの出会いについて、コミックライターを続けるため「マーベル編集部にスパイダーマンをA級としてA、B、C、D級キャラクターのストーリーを大量に売り込んだんだ。これがサブラとの出会いだった」「サブラだけでは関心を引かないかもしれないが、作者はイスラエル在住の男だ」と正直に語っています。これはスコット・ロブデルのデビュー経緯とも共通する部分があり、不人気の無名キャラクターはライター志望者が自分の特色を売り込むために都合の良い存在なのでしょう。このプロパガンダ的作品が、(おそらくは)イスラエル側の依頼によるものでも、イスラエルへの熱狂的支持を表明するためのものでもなく、単にマーベルコミックに関わりたかっただけのアメリカ軍人が生み出したものであった事にも慄然とさせられます。

 

~2018 最後の登場「少なくともそれは俺たちじゃなかった」

 2010年代もサブラX-MENのサポートキャラクターとして何回か姿を見せ、2012年からのX-MEN第3シリーズ*23ではモサドであること、2014年のX-MEN第4シリーズ*24では女性キャラクターであることに着目されて登場に至ったように見えます。また、スパイダーマンキャプテンアメリカが関わる大事件の国際的な規模間の演出としてもそれぞれ一度ずつ使われています。*25

 筆者が確認できた最後のサブラの登場は2018年のAvengers #11で、『マーベル:レガシー』から始まるジェイソン・アーロンによるシリーズの一幕でした。

 サブラはアベンジャーズの本部で開催された国際ヒーローサミットにユニオンジャック誌の新アラビアンナイトと並んで姿を見せています。このサミットでは当時失われていたS.H.I.E.L.D.に代わる新たな国際連携が議題となり、アラビアンナイトは協調に賛成し、サブラは彼に同意します。これに対し独自路線を取るロシアのヒーローチームの一員、ウルサ・メジャーが「見ろよ、ユダヤ人とムスリムがどっちも賛成してるぜ」との挑発を皮切りに場を荒らし続け、ついには追い出されます。サブラとアラビアンナイトはウルサ・メジャーに呆れながら軽口を交わしていました。

Avengers #11より。国際ヒーローサミットでウルサ・メジャーの傍若無人を横目に見ながら皮肉冗談を言い合うアラビアンナイトとサブラ。独自の関係性が築かれているようにも見える。

 

 ここで登場したサブラとアラビアンナイトは過去の展開を経てから年月も重ね、作中人物としては成熟したバージョンの姿なのかもしれません。しかし、実在のイスラエルが引き起こしている状況は現在まで悪化の一途をたどり続けており解決した問題ではありません。また、現実であってもフィクションであっても個人間の関係の改善だけでは国家の人権侵害や不均衡な状況のような大きな構造には対処できません。サブラのように国を代表する一人のキャラクターを創るというそもそものコンセプトの限界が表れているようでもあります。

おわりに

 これまで見てきたようにサブラは登場するたびに現実のイスラエルに対して有利なイメージを残していきました。

 初期の登場では宗教対立という偽の問題を強調して放置し、再登場後の設定はどれもイスラエルの人種差別政策から目をそらさせ免罪する性格を持つものでした。

 また、初登場回ではサブラにだけ「改心」の機会が与えられ、サブラが明らかな差別的態度を取ったり操られたりしながらも常にヒーロー側とされるなど、サブラが象徴するイスラエルは一貫して「やむを得ず過激になることもあるが基本的には味方・善の側である」という誤った前提に立って描かれています。イスラエルが行っている土地の収奪や民族浄化は目的も手段も不正なものです。

 そして、サブラやイスラエルには一定の出番が与えられる一方、サハドを殺したテロリスト達もサブラに皮肉を言ったバタルも、イスラエルパレスチナの土地を奪っているという事実を発信したキャラクターはすぐに退場させられていました。パレスチナ人だったのかもしれないナヴィドもその事実さえ曖昧なまま、イスラエルの問題を指摘することなくサブラ個人とのストーリーに組み込まれてしまいます。ここには圧倒的な宣伝力を誇るイスラエルが誤情報を含む大量の発信を行うことで、パレスチナの情報を無効化する現実世界の不均衡がそのまま表れているかのようです

 サブラが作中に登場するということは、それだけでイスラエル側にのみ声が与えられてきた現実の歪な状況をなぞるものであり、どんな形であれ今後登場させるべきでないと筆者は考えます。特に映画への登場はキャラクターと演じた俳優の知名度が圧倒的に上がり、端役でもグッズが発売されたり、登場コミックの価値が上がったりするなど大きな影響が及ぼされます。サブラを原案としたキャラクターを映画に登場させるべきではありませんでした。

 

 2025年2月14日、再撮影を経つつルースの登場する映画は公開されましたが、ファン・消費者はどう対応するべきなのでしょうか。「映画にルース・バット=セラフを登場させ最後まで削除しなかったことに抗議する。このことを理由としたボイコットを表明して映画は観ない」これが正しい答えであり、イスラエルによる不正を終わらせるという観点からはこれは変わらないと思います。

 ただ、事情を知らずに既に映画を観られた方も多いでしょうし、この件に限らず様々な理由(生活上やむをえない事情や倫理より自身の快楽を優先してしまう等)で正しくない消費行動をとってしまうことは大いにありえます。

 そんな場合でも構造からは目を背けないでほしいと私は思います。

 「目を背けない」とは罪悪感だけを味わい続けろだとか、常に悲惨な暴力の情報に触れつづけろという意味ではありません。自分は他者への加害ともつながっている大状況の中にあるという事実を自覚して行動するということです。

 自分の生活の中で、不買も含めて反対を表明できるとき、署名ができるときや寄付ができるときに一人分の力を発揮する。より余裕があれば他の人にも呼び掛ける。それだけの行動でも、イスラエル支援企業にお金を落としたのと同等以上に世界へ影響を与えています。充分ではなくても必要なことです。

 例えば下記のサイトはクリック数に応じた寄付がなされる仕組みで、一人一日一回クリックすることでパレスチナや中東で弱い立場の人々への支援ができます。

また、日本からパレスチナのためにできる具体的行動をまとめたサイトもあります。

 ガザでの「停戦」が報じられ世界からの関心が薄まるなか、イスラエルによるパレスチナへの暴力は終わっておらず、今後トランプ政権アメリカの後ろ盾を得て状況がより悪化することも予想されます。パレスチナの人々の権利のため粘り強い活動が必要です。

 ヒーロー作品のファンならば世界を正しい方向へ動かすための力になれると私は信じています。

 

 

参考文献

臼杵陽・鈴木啓之 編著『パレスチナを知るための60章』(明石書店、2016年)

岡真理『ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義』(大和書房、2023年)

鈴木啓之・児玉恵美 編著『パレスチナイスラエルの〈いま〉を知るための24章』(明石書店、2024)

立山良司 編著『イスラエルを知るための62章【第2版】』(明石書店、2018年)

*1:Sabra Controversy: Marvel Takes New Approach for Captain America 4

*2:Sam Wilson Takes Flight in First 'Captain America: Brave New World' Trailer | Marvel

*3:例えばhttps://screenrant.com/marvel-characters-debuts-hulk-comics/のような基準のよくわからない〇〇キャラクターベスト10やサブカルチャーを専門としないユダヤ系のメディアが出す5 female Jewish superheroes everyone should know - Jewish Telegraphic Agencyのような記事など

*4:How watermelon imagery, a symbol of solidarity with Palestinians, spread around the world | PBS News

*5:ファンページに引用されている出典不明のインタビューでは、スティーブ・グラントがコンテスト・オブ・チャンピオンズ用に多くのキャラが作られたと明かした、としているSabra (Hulk / X-Men character)

*6:Incredible Hulk#264号読者投稿コーナーにて。編集部は今後民族的キャラクターのカラーリングにもっと注意すると答えている

*7:https://www.cbr.com/black-panther-almost-changed-his-name-marvel/

*8:Nemesis (Earth-295) | Marvel Database | Fandom

*9:https://www.cbr.com/marvel-x-men-greycrow-name-change/

*10:イスラエルアナーキストについてはCrimethInc. : Contemporary Israeli Anarchism: A Historyにおいて語られていた歴史を参考とした。現在のアナーキストの状況が伺えるインタビューもある。An Interview with Anarchists in the '48 Area

*11:Young Justice (1998-2003) #43、X-Factor (2005-2013) #217

*12:https://x.com/XSiveVerbosity/status/1393173832597389313

*13:90年代に出版された邦訳『Xメン ゼロ・トレランス』では4巻~6巻に収録

*14:ドラマや映画で大人気! イスラエルのスパイ組織「モサド」のメディア露出が急増の理由 | クーリエ・ジャポン

*15:ちなみに、クレアモントはこれらの展開の発想元はイスラエルキブツで実際のホロコースト生存者と共に働いた経験やイスラエル首相を務めたメナヘム・ベギンのテロリストからノーベル平和賞受賞者になった経歴があったと明かしている。メナヘム・ベギンはナクバで大量虐殺を起こした組織イルグンのリーダーで、エジプトとの和平によってノーベル賞を受けてからもイラクの原子炉襲撃やサブラ、シャティーラ事件が起こったレバノンへの侵攻を命令した人物。https://www.empireonline.com/movies/features/x-men-wolverine-jean-grey-chris-claremont-five-key-storylines/

*16:ちなみに、当時のマグニートーは国連からジェノーシャという架空の島国の支配権を与えられていた。これはミュータントに関する問題を解決するためにマグニートーの目指す「ミュータント国家」を国連が承認したという形であり、かつて大戦後のユダヤ系難民問題を強引に解決するためにイスラエル建国を認めた史実も思わせる。一方、当初のジェノーシャはアパルトヘイト南アフリカを思わせるミュータントが二級市民として搾取される国として登場し、その後ミュータントと人間の内戦に陥ったというイスラエルとは全く異なる経緯も持つ。現実世界の問題のイメージを借りつつ実際はそのどれでもないというX-MEN系列作品の良くも悪くも作用する面が大いに表れていると言える。「ミュータント国家」の概念は以降のシリーズにも何度か顔を出し、2019年の『ハウス・オブ・X/パワーズ・オブ・X』では世界中のミュータントのホームを名乗る人工国家「クラコア」も登場した。この第一話でマグニートーがクラコアについて語る場所がエルサレムであることは偶然ではないだろう。X-MENシリーズとイスラエルの関係についてはこの記事も参照のことFrom Jerusalem To Krakoa: House Of X & The State Of Israel - COMICSXF

*17:クロスオーバーイベント『ハウス・オブ・M』の結末で起こったM‐デイ。作中ではミュータントへのジェノサイドの一つともされている

*18:Captain America (2004 - 2011)#2、#18~21において。同誌の#1~9、11~14は邦訳『キャプテン・アメリカ:ウィンター・ソルジャー』に収録

*19:https://web.archive.org/web/20070930165629/http://www.wizarduniverse.com/magazine/wizard/001447030.cfm

*20:確認できた彼の最終登場号はサブラと同じ2018年のAvengers #11。また2019年版『マーベル・エンサイクロペディア』p.26ではナヴィドを「サウジアラビア人のため働くパレスチナ人」としており、こちらが公式設定に近いと思われる。

*21:イスラエル首相「ホロコーストはパレスチナ人が進言した」発言を開き直る | ハフポスト NEWS

*22:イスラエル/被占領パレスチナ地域/パレスチナ:最先端技術でイスラエルの戦争犯罪が明らかに : アムネスティ日本 AMNESTY,https://www.haaretz.com/israel-news/2024-07-07/ty-article-magazine/.premium/idf-ordered-hannibal-directive-on-october-7-to-prevent-hamas-taking-soldiers-captive/00000190-89a2-d776-a3b1-fdbe45520000

*23:X-Men (2010) #31、34~37

*24:X-Men (2013) #9、11、16

*25:2012年の「エンド・オブ・ジ・アース」編のAmazing Spider-Man #685とAmazing Spider-Man: Ends of the Earth #1。2017年の『シークレット・エンパイア』に関連するCaptain America: Steve Rogers #18